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独立の祖 |
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初山良秋信士 宝永元年(1704)7月没 |
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ランチュウ飼育の祖 |
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吉田 新五郎 天保元年(1830)7月没 |
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二代 |
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吉田 粂 文政2年(1819)金魚の販売を始める
明治2年2月没 所在小石川丸山町 |
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三代(祖父) |
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吉田 新次郎 天保生 明治44年2月(行年79歳)
明治初年に小石川より本郷に移る |
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四代(父) |
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吉田 新之助 慶応3年生 昭和17年6月没(行年76歳)
明治28年秋、ランチュウ大会を開催。明治38年、日露戦争後の好状時代に大衆向け琉金・和金・ヒ鯉・メダカ等の販売に重点をおく。そして必要設備として東京深川に養殖畜養池を1500坪区画12面とする。 東京府下、滝野川上中里に大正6年、池工事を起こし5月に移転する。総面積3000坪、池数27面。大正6年9月30日養魚場は滝野川に移転。 |
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大正15年2月 |
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現在地である新小岩に新たに養殖場を設置する。2700坪の農地を池に造成する新池は魚の出来も良好であった。 |
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昭和24年5月 |
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吉田養魚場、代表吉田松樹 (現(株)ヨシダ) 内に東京都淡水魚養殖漁業協同組合を設立し東京都より同組合が認定され初代組合長に吉田松樹が就任した。 |
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昭和30年 |
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20年代に金魚組合は江戸川に移り吉田養魚場は30年代に入り金魚の養殖と問屋業務を開始した。次男吉田舜亮が吉田養魚場社長となる。 |
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昭和43年 |
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熱帯魚の輸入を開始し観賞魚の総合卸問屋として千葉・埼玉・茨城県等関東一円に販売網を拡張した。 |
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昭和47年 |
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金魚錦鯉の輸出を開始。日本でも屈指のシッパーとなる。 |
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昭和53年5月3日 |
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第一回日本観賞魚フェアで農林水産大臣賞受賞 |
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昭和61年7月1日 |
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吉田養魚場より社名を株式会社ヨシダに変更し、資本金2000万円の法人となる。代表取締役に吉田信行就任。 |
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平成10年10月 |
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地下1階熱帯魚・1〜3階事務所兼倉庫・屋上金魚ストック場・ヨシダビル竣工 |
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平成17年4月10日 |
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第二十三回日本観賞魚フェアで東京都知事賞受賞 |
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平成18年10月 |
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同地一階に「金魚の吉田」設立
全国の金魚を陳列するストック場を設けた。 |
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平成18年10月22日 |
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第十三回金魚日本一大会で大会会長賞受賞 |
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